日本の誇り

4月15日から3日間、夫婦で宮城県ので災害ボランティアに行ってきた。
自家用車で携行缶にガソリン60L、テント(荷物入れ)、布団(車で寝るため)を積んで、食料(玄米雑穀ご飯、沢庵や梅干など、その他レトルト食品)も現地で調達できないだろうと持って行った。

現地には朝10時半頃到着。やる気満々で亘理町のボランティアセンターへ。

実は知り合いの方が私たち夫婦を私が医療従事者ということで福祉避難所に行ける様に手配をしてくれたのですが、8時半までに受付をして、9時からの(人と仕事の)マッチングに間に合わなかったため、何もすることがなくボランティアセンターで足止めをくらってしまった。

しばらくして、センターの人からお声がかかり、泥の掻き出しに行った家に流れ着いたアルバムなどの写真を水洗いしてきれいにする仕事を仰せつかった。
風呂敷に包まれたアルバムや台紙に貼られた結婚式の写真、昔の旅行に行った時のスナップ写真や2、3年前に行ったディズニーランドの親子の写真。宝石箱を兼ねたオルゴール・・・ご本人にとっては大事な思い出の品々。優しく洗わないとプリントが消えてしまうので細心の注意を払って心を込めて作業した。

写真をきれいにして乾かしていると、
「これ(結婚式の記念写真を見て)、役所に勤めてた○○さんじゃないかい?」「ほんとだ!」なんていう現地スタッフの会話。「この人、前、役所に勤めていた人だわ〜。」と教えてくれた。きっとこの写真はご本人とその家族のもとに帰ることができるだろう・・・少しはお役に立てたかな、と思えた瞬間だった。

ジャーナリストに取材を受けているところ

お昼を食べてから、やっぱり困っている人のそばにに行き何かお役に立ちたいと思い、ボランティアセンターから見えるところにある亘理高校の避難所に明日からの活動のリサーチを兼ねて行ってみた。
実際に避難所の体育館に入ってみると、避難されている人たちは床に座っていて、私はその場に立ちつくし見下ろしている感じがして自分が偉そうな嫌な気分になった。この目の前にいる人たちになんて声を掛けたらいいか、わからなかった。
そばにいたボランティアスタッフに事情を話し何か私にできることはないか質問した。「それじゃ〜お話聞いてあげてください。」とのこと。
ちょっと気後れしていた気持ちを抑えつつ、体育館内をブロックわけでできた道を歩いて話しかけやすそうな人を探した。
歩きながら病院で仕事しているときのことを思い出した。病院ではもともと面識の無い患者さんとも親しく話をする。普段仕事でやっていることを勇気を持ってやってみよう(話しかけよう)と気持ちを切り替えた。

話しかけやすそうな60代くらいのお母さん発見!
正直に「ボランティアセンターで今日は仕事はありません」と言われたこと、「私になにかお手伝いできることはありませんか?」と素直に聞いてみた。
「えぇ!何も無いなんてことは無いわよ!」とそのお母さんは言ってくれた。
私は肩や腕、手のひら、避難所で足の血管に血栓(血の塊)が出来る人が多いと聞いていたので足を丁寧にマッサージした。
この血栓が心臓に行くと心筋梗塞、脳に行くと脳梗塞、肺に行くと肺塞栓、足の血管を詰まらせる閉塞性動脈硬化症。どの病気もそこから先に血流が行かなくなり、酸素や栄養が運ばれなくなると壊死を起こす。閉塞性動脈硬化症なら最悪切断しなければならなくなる。

マッサージをしながら、いろいろな話を聴いた。

もともと小学校の避難所にいたが、学校が始まるということで小学生などいる家庭はそこに留まり、年寄りは亘理高校の避難所に移ってきたばかりとのこと。
ここでは水道は復旧していて、食事は1日2回(昼と夜)当番制で炊き出しを作っている。トイレも体育館内にあり掃除も当番制とのこと。お風呂は少し離れたところで(小学校だったかな?)2日に1回自衛隊風呂をやってくれているとのことだった。この辺りはイチゴの産地で仙台苺といえば、この辺りのイチゴをいうそうだ。しかし、畑が海水に浸かり、塩害でイチゴを作れるようになるまでに何年かかるか・・・と言っていた。お話を伺ったのは亘理町の浜吉田の方だった。海から防波堤があり、その内側には防風林の松林、そして住宅があった。防波堤が壊れ、松林も倒され、家も流された。後日家に帰ってみたら、いままで防波堤や松林で見えなかった海が見えて、こんなにも海が近かったのかと思ったそうだ。

私達は東北道で来た。福島辺りで道路がガタガタになっていたり、屋根にブルーシートがかかっていたりするのはみた。でも千葉でも屋根にブルーシートがかかっている家はある。現地に入ってテレビで見るような光景にまだあってなかったので本当にここは被災地なのかと思っていた。
昼間自衛隊の大きな車が入り作業していて危険だから、一般の車両は17時過ぎじゃないと現場に入れないと教えてくれた。
きっと今回の震災がショックで思い出したくない人もいるだろうが、この人は「もっと県外の人に話を聴いて欲しい」と言っていた。

http://shi.na.coocan.jp/tohokukantodaijisin-1.html

避難所で暮らしている人と話して、津波で親族、家、仕事を無くしているのに、周りへの気配り、東北人の我慢強さを感じた。そして「迷惑をかけて申し訳ない」と言っていた。なんでそんなに控えめなのか・・・日本人のもともと持っていた心の強さと控えめさを今でも東北の人は持っている。
日本人の良さを見せてもらい、同じ日本人として誇りに思ったし、同じ日本人でよかったなと思った。
被災地から遠く離れていても心はこの人たちに寄り添いたい。東北人の粘り強さと私たちの支援があれば被災地を絶対復興できる!という思いを強くした。



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17時過ぎ、被害の大きかった荒浜地区辺りに行った。常磐道の高架をくぐると壊滅状態だった。
ずーっとこの何も無い景色を想像して下さい。ところどころ建物が残っているだけで空襲を受けた後のように何にもありません。


堤防の外側(阿武隈川の河口付近?)

堤防の内側

津波で階段下の土をえぐっています。その奥にはサクラの木。

津波が押し寄せて人工的に建てられた家などの建物は流されたり壊されたりしましたが、サクラの木は大地に根を張ってきれいなピンク色の花を咲かせていました。
人間は自然の猛威の前では何にも出来ないということを思い知らされた気がします。そして、自然のしなやかさ、たくましさ。自然を征服するなんておこがましい。自然に対して謙虚になるべきじゃないだろうか。津波が人間のおごりを戒めている気がする。


福島に思いを馳せると・・・
原発を残すために防潮堤を作ったところでまたいつか想定できない事故が起こるだろう。例えば、原発がテロリストに狙われたり・・・人類滅亡の危機。福島の原発事故が破滅的なテロリストはそんなことを考えるかもしれない。(素人の私が思いつくんだから、想定はしておくべきだと思う。)もし、原発は原爆に転用できるから持ち続けたいと考えているなら、原発を持っているだけで危険です。放射能は人間だけでなくさまざまな動植物の運命も変えてしまう。福島原発事故を教訓にして原発はすべて止めるべきだと思う。
原発が無くても他の火力発電や持続可能なエネルギーで賄えると聞く。
人間が作ったものでこんなにも苦しめられ・・・遺伝子を傷つけ、病気や子孫の心配をしなければならない。原発は自然と相容れない。
本当は人間も自然の一部なのに、すっかり忘れてしまっているのではないか。
原発止めて、日本の安全・安心を取り戻したい。それが日本の誇りだから。