愛知ショックその2

「将来どんな日本に住みたいか」・・・人それぞれ想像する未来があると思う。
私にとって、愛知ショックは、日本の将来はどうあれば良いかをより明確に考えるきっかけになった。所持金90円で年老いた姉妹2名が餓死していたのが見つかったというニュースがあった。このような悲しいニュースは聞きたくない。たとえいま社員として仕事に就いていても、会社の業績悪化でお給料やボーナスの削減、老後のための貯畜ができないと聞く。また、お金に余裕のある人も、将来に対する不安から、お金を使わないように節約しているのが現状ではないか。

私は医療従事者だから、生きることを保障する日本であってほしいと願う。

高福祉高負担にして、将来の蓄えがなくてもほどほどの生活ができれば、不安なくお金を使うことが出来る。みんながお金を使うようになれば、日本の経済も回るようになるのではないか。高福祉になれば、保育園の整備も進み、子供を安心して預けられるようになれば、生みやすい環境が整う。少子高齢化社会が改善されるかもしれない。そういうことをするにはどうしても税金が必要になる。
今、たとえ生活がきつく増税になったとしても、失業したり年金生活になったときにしっかり生きていけるよう生活を保障することができれば増税もやむをえないと思う。

政治家や政党は国民に、どのような未来を想定し、どんな日本を作ろうとして増税すると言っているのか、税金を上げないと言っているのか、上げないならその財源はどうするのか、それは実現可能な財源なのか、ちゃんと将来像を提示するべきだし、政党ごとに選択肢を国民に選ばせるようにしなければならないと思う。
それをしないのは目先の選挙目的の政治をいつまでもしているからで、国民はそんな政治にうんざりしている。

政治は自分たちが選んだ代表が執り行う。国民の程度にあった政治家しか当選しない。国民も将来を見据えた政治を望むなら、そういうことを語ってくれる政治家を真剣に選ばないといけないんじゃないかと思う。
国民が政治(家)を見捨てたら、良くなるものを良くなる筈がない。

自分が「日本をどんな社会にしたいか」「どんな日本に住みたいか」まず考えて、それから自分の考えに近い政党を選び、選挙区の立候補者から選ぶ。
4月には私の住む地域でも選挙がある。私はそのようにして自分が投票する人を選びたい。